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2016.11.25

与えることで救われる・・・かも。 <一日一篇の言葉 vo.l 49>

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

人を助ける
人を励ます
人に教える

私はそういう衝動に駆られたとき
「あぁ、彼女(又は彼)を救おうとして自分を救おうとしているなぁ」
と思う事がある。

まぁ
だいたいはそうなのだが

励まさずにはいられない
「衝動」となるとき
そこには
確信みたいな力が沸くけれど

それが
自分のところでしかないという事に気が付いていしまうと

良かれと思って
していたけれど
相手はその押しつけがましさや
相手そのものを見ていないズレに
辟易していたりする。

(まぁ、そうでもなくて
 あんがい感謝されることもあるけれど)

ホロスコープでいうところの
12ハウス(隠れたところ)にある星は
無意識にトラブルを呼んでしまう事があるというけれど

自分の心の傷や
悲しみを
自分に隠してしまっているほどに

そうした衝動に駆られる傾向があるように思う。
そうして
思わず
過剰に介入などしてしまい
巻き込まれていくのではないだろうか。

でもそれが悪いかというと
そうでもなく
やはり

苦しんでいる人を
貧しい人を
困っている人を
孤独な人を

救いたい
そんな風に思う気持ちを止められず
実際に行動に起こして
何年も何年も活動をしつづける人は
そうでもしないと
救われない
自分がいるんじゃないだろうか
救われない自分がじっとさせてくれないような
(もちろん。そんなんじゃない人もいます)

そう考えると

助けることでこちらが救われて
教えることでこちら教えられる

・・・

多くの人を救った
聖者と言われる人々が
もしもそうであったならば

どんだけ悲しみがそこにあるのか
どんだけの孤独が
どんだけの惨めさが…

そうして
人々を救ったことで

自分を救出することが
果たしてできたのだろうか。
と思いを馳せる。
(勝手な、妄想ですが)

まぁ、でも聖者なんて大それたことでなくても
子供のころ誰にも寄り添ってもらえず寂しい思いをしたような人が
自分に子供が出来たら、今度は、自分がしてほしかったように寄り添って抱きしめてあげるだけでも
子供の頃の自分が癒されたりすることがあります。

与える力って素晴らしいですね。

しかし、精神的な意味において
「自分」を救うんでなしに「誰か」を救うとなると
どうなんでしょうね。
誰かが誰かを救うなんていうことは人間には本当はできないのかもしれません。

それでも
どうしても誰かを救えないものかと奮闘する誰かがいて
そうした誰かとの出会いをきっかけに救われる人がいる。

どうしても
そうせずにはいられない事というものの
底には神の意思が流れていて
その人が行ったように見えて
実は神様の不思議な力が働いていたりする。

今日も読んでいただいてありがとうございます。
いい一日を。

しかし、何はともあれ、感謝ですな。

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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。