2017.01.06

自分を許して <一日一篇の言葉 vol.85>

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

自分の苦しみを
「たいしたことないんでしょうけれど」
と、自分でいう方は結構いて
きっと
たいした苦しみだから
こうして相談にいらっしゃるのだけれど
世間とか客観的な何かを意識して
「たいしたことない」といい
たいしたことないことに
たいした気持ちを感じながら
そのことを恥じつつ
相談に来る人は意外に多い。

以前
幼馴染が男の子を出産して
その男の子のやんちゃざかりに「〇〇ちゃんは大変だねぇ(〇〇=幼馴染)」と
その幼馴染のお母さんに話したら
「たいしたことじゃないよ。COCOちゃんだって大変だったでしょ。(本当はCOCOでなく本名で呼ばれたのだが)」
と、既に子供のいる私に言っていた事があった。

そういう
やりとりは
世の中に当たり前にある
なんてことのない
よくある会話なんだけれど

ふと思った。

自分の外側に基準を置いたなら
きっと誰しも
「たいへんだ」なんて言えなくなるのだろうなぁ。って

世の中には常に自分より大変な人は沢山いるし
自分より楽な人も沢山いるのだ

どんなにどんなに辛かろうが
それでも
やっぱり
自分より辛い人はどこかにいるのである。

「私は辛い」

それでいいのである。

するときっと
もしかして

このぐらいでつらいなんて言って…と
心の中で或いは声に出して批判するひとも
いるかもしれない

それでも

「私は辛い」

それでいいのである。

私は
であって
誰かは
でも
世間でも
なんでもない

私のところがそう感じるんだからいいのである。

・・・と
自分にだけは

誰かが分かってくれなくても
せめて自分ぐらいは
自分の辛さを
認めてあげてもいいだろうと
私は思うのですよ。

自分を許してあげよう・・・。


今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

しかし
「COCOちゃんだって大変だったでしょ」という言葉には、それを言った幼馴染のお母さんの
私への思いやりとおもんぱかりがあって、私が書いた許し云々とは関係なく、ただ、ただ
わたしへの優しさと気遣いを感じたりもするんです。ありがとう。

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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。