2010.02.05

コラム3 幸せのヒントと占い師

「幸せへのヒントと占い師の仕事」

占い師の仕事とは何か?という事について今日は考えてみたい。   

占い師の仕事とは?と言っても占い師によってその「意図」は様々なのではないかと思う。
私の意図は、目の前の方の、「心から望む、満たされ幸せな人生の為に必要な情報が欲しい。」という意図をもって占い望む。そのために、目の前の「その方にとっての」の過去・現在・未来の真実が知りたい。

ちょっと話はとぶけれど
第5原理という考え方があり、ピラミットの形を思い出していただけると一番いいのだけれど一番中心の5番目の点は、いつも隠されているという考え方。

私が占い師として、近づける点には限界があり、
やはり、5番目の点を発見する鍵は本人にしか開けることは出来ない。

「今」という地点。そして自分を中心に添えて「感じる」こと。
そこに真実を知る大きな鍵があると思う。

多くの方は、表面的には占い師に
「過去」そして「未来」を当てることを期待している。

でも、「今」という地点を見失った、「過去」のビジョンも「未来」のビジョンも仮にそれが当たったとしても、幸せをもたらすメッセージにはならないと感じています。

未来を創造する鍵、種は「現在」にある。

なぜ、私が現在にこだわるのか?
目の前の方。または私が「今」を感じなかったとしても未来はやってくる。でも、今を見失った未来には、積極的な「自分」というものは存在しない。

未来の出来事は「意志」「意識」「意図」「感情」など意識の世界が引き寄せて生まれてくる。でもその意識の中には自分で自覚するのが難しい「潜在意識」「超意識(高次の意思)」なども含まれる。その意識できない意志というものが引き寄せる出来事を、多くの人は「運命」というのではないかと思います。

高次の意志は、心からの幸せをもたらしてくれると共に学びも促します。
学びの課程には
未体験事柄に飛び込めという場合や、
絶対やりたくない。恥ずかしくて到底できないと避けてきた事柄をやるように勧める場合もある。しがみついている、物事を粉々に打ち砕くような出来事をさせる場合も。

「そんなこと出来ないよ!」と叫ぶ恐れに向こうに、その奥に本当の願いが隠れている。本当は、子供が欲しい。本当は、もっとのんびりしたい。本当は、ただ助けて欲しい。本当はやりたい夢がある。本当は、仲間が欲しい。本当は、一人で静かな時間が欲しい。本当は、ただ愛されたい。

高次の意志や中心の第五番目の点に「気が付く」一番のヒントは
その、ただ、今の「感じ」に隠れている。
どんなに、誰かが説明したとしても、その答えを目の前に出されたとしても、感じる事ができなければ「気が付く」ことはないのだ。

そこから、どんな未来を創造するのか、喜びもあるが課題もリスクもある。その道を選択する事もできるし、その場に踏みとどまる事もできる。

人間には「自由意志」がある。

まずは、自分で人生を創造できる。自分には自分の人生を自分で選択して、創造できる力があることを思い出して欲しい。

それが、私の願いです。

私の占いでは1時間のうち、半分近くをその「今」の「感じ」を捉えることに費やします。今を捉えることの過程は、潜在意識と向き合う過程になる場合が多い。潜在意識には、不安と恐れ、悲しみ、憎しみ、その底に、自分は愛されていない。愛されるに値しないのではという疑い。様々な負の気持ちと出来事が隠されている人がいる。

それが、少しずつカードを通じて表に浮かびあがる。

そうして、隠れたものが表に出ると同時に、「今」の自分の気持ちや本心が顔出す。

どうしても、どうしても近づけない人もいる。

でも沈んだには沈んだなりの訳があり、
表層に、顕在する意識に出せないのは、出せないなりの訳がある。
人間の無意識の倉庫というのは、ある意味、機械でいうところに
「ヒューズ」のような役目も果たしているのではと思う。壊れないために、倉庫にしまう。今、機能する存在でいるために、とりあえず「倉庫」にしまう。

でも、倉庫にしまっても、その感情、意志は存在しており、やはり、未来の出来事を引き寄せることには変わりない。

でも、セッションの場で出来ることには限りがあり、仮に近づけなかったとしても、それ以上はその人の人生のプロセス。様々な出逢い。そして高次のエネルギー、意志が、導いてくれるに違いないと思う。

「神は欠けたものを好んでお使いになる」
という文章が聖書のどこかに書いてあった。

世の中で大きな使命と役割を持った人の多くに、固く閉じられて沈んだ心を抱えている人は多数いると思う。

何が本当の幸いか、計り知れない。
倉庫に閉まった心が原動力で、何かしら果たす使命を持った人もいるだろう。世界や神の意志は私の視点よりずっと大きい事を忘れずにいたい。

それでも、私は私の「意図」を持って、仕事に取り掛り続ける。