問題を解決しようとするときに
表面的なことを
いくらやったところで
どうにもならない時というのがあって
もっともっと根本から
変えていくしかないという事は多い
土台が弱いと
丈夫な家は立たないだろうけれど
それと同じようなもので
枝葉を広げて発展した物事が
ある程度までいったところで
その土台の状態の良し悪しで
行き詰ったり
することにもなるのだろうと思う。
じゃぁ
人の人生にとっての
土台ってなんだといえば
それは
「自分」なんだろうと思うんだ。
他人や世間体の評価や評判ももちろんある程度は大事だけれど
自分が
ここちいいこと
自分が喜ぶこと
自分の生理にあっていること
幸せのイメージは巷にあふれているけれど
そうした世間の差し出す幸せのイメージ
に少し目をつむって
自分の心とか感じるところに聞いてみるといいかもしれない
理屈や考え
は少し忘れて
どう感じる?
幸せというものは
とても感覚的で
個人的なもの
世間や周囲が幸せだと認めてくれることと
自分が幸せを感じるか?
ということにはギャップがあることがある
瞬間的な幸せでなく
もし
到達点的な幸せというものがあるとするならば
幸せというものは
心地いいものを
一つ一つ増やしていく
そうした積み重ねで
自分のまわりにここちいいものが増えていう
そうして
手に入る環境のことを
幸せと
いうんじゃないだろうかとか思ったりする。
そうして
それは
「自分を幸せにする」ぞ!
と自分で決意しないことには始まらず
そうして
それをもとにして
自分が幸せだという感じるものを
一つ一つ
丁寧に「自分で自分に」聞きながら
時間をかけて
つくっていくようなそんなものなんじゃないかな
そうして
自分を土台にして
自分と出会うかのごとくにして
「しあわせーだー!」というものが手に入る
王子様がやってきて
ある日を境に幸せになる
というのは夢物語で
いや、
夢物語ではなく
王子はやってくるのかもしれないけれど
やってきた王子に
私はおしゃれなカフェよりが焼き鳥がすきなんだ!
とは言えないといけないと思うのだ。
或いはそういう自分を知っていないとね
夜景に連れて行ってくれるよりも
本当は家で一緒にアニメに一緒に興じてくれるほうがいいとかも
例えば
サビアン占星術には
360度すべてに意味が異なり
それを
喜びや楽しみを現す金星に当てはめたとして
人それぞれ
360度位置が違う
それだけ
喜びの色も違うのだ
私を幸せにする
家の土台をつくれるのは私だけ
私の感じる声を聴きとれるのは私だけ
あなたの感じる声もあなたしか聞こえない。
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今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。
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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。