私が出産したとき
子宮口が開かず
どちらかと言えば難産で
最終的に帝王切開になった
妊娠性血小板減少症を併発しておりすぐには
お腹を切ることができなかったようで
陣痛が始まってから
帝王切開まで5日間もあった
最終的に
血圧低下
ストレスで胃が切れだしたのか、吐く胃液に血が混じりだし
破水してやっと帝王切開にいたる
そんな出産を振り返るとき
きっと
現代の医学だったり
豊かになって庶民も手術ができる時代だから
私も娘もここにいるんだけど
ひと昔前なら
出産で
私も娘も命を落としてここにいなかったのだろうな
とか思ったりする。
でも
体の自然の力を重視したような「自然療法」も興味があって
冷え取りをしたり
つたない知識ながら
アーユルベーダ―のレシピを食事に取り入れたりすることもある
ちょっとちがうけどレメディーを使ったりもする。
そうして
体調なんかは現代医学の薬だけに頼っていた
前より
かなり改善したなと実感できる
それでも
本当に心配なときは
病院にいく。
現代の医学でないと
私はここにいなかったなという
気持ちがあり
自然に任せるところ
と
医者を頼るところと両方否めない。
でも
医学はともすると
行き過ぎて治すはずの薬に共依存しているようにも思ったり
塗らなくても自然にしてれば治る傷や
必要のない施術だって沢山あるだろう
でも自然療法では
難産の妊婦の命は救えない。
そもそも
そうやって自然の限界を超えることは
どうなのかという倫理観の議論はどこかにあるかもしれないが
それでも
生きたいし
大事な人には生きてほしいというのが
人のこころ。
どっちかなんて
考えるとわからなくなるが
両方使って
死にそうなところを人の知恵でもって生かしてもらって
でも自然の力でも命をば生かしてもらう
でもどちらかと言えば
自然のほうに
軸を添えて
人の力はほどほどに
そんな風にしていきたいと
最近は思うのです。
でもまぁ、人も自然の一部なのでね、
一見対立してるようにも見える
自然のと人間の攻防も
自然を壊しているかに見える人のハタラキも
実は自然の成り行きで
そうして
今あるものが
変化して変化しすぎて絶滅することを
恐れているのは
人であって
地球も宇宙もなるようになってると
ぐるぐるとめぐっているのかもしれないなと
考えたりするのです。
そうすればもとのモクアミ
ただ心の奥の声に忠実に
何を選択するのかも
わたしという自然に任せてしまうところ
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読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。