2025.07.05

私とは私のないところにいるパラドックス <一日一篇の言葉 vol.103>

今日の太陽は蟹座14°(数え)月は12時の時点で蠍座9°(数え)。月は一日で約8度は進むので、これもすでに変化しているけれど、太陽は一日1度ぐらいで進んでいく。

今日のサビアンは「北東の大きな暗い空間に向いているとても年をとった男」というシンボルだ。
こころの奥深くに入り込んだ結果、そこに空虚を発見するという‥。
つきつめていくとそこには何もない、という体験。わたしはこのシンボルから明日のジョーを思いだす。
戦って戦って虚無になるラスト。でも何もない。というのは悪い事でも悲しいことでもなく
この何もない状態を求めて、必死に何かをやってるんではないか?と思ったりする。

私の実態は「空間」である。と言った人がいたけれど(ユングとかOSHOとか…ほかにもいたかな?)
無心になるために必死にあれこれしなければならない程に
私たちのエゴは私たちをがんじがらめにしているのかな?と思ったりもする。

「私たち」と主語を大きくするのはあまり好きではないけれど
それでも、武道やヨガ、宗教にしても、究極の境地は無心に辿り着く事
自分のない場所だという。

日々、自分探しに明け暮れる人も沢山いる世の中で
私とは私のないところだ、なんていうと
???になる。

でも実は自分を「失っている」時というのは
たくさんの自動で行き交うおしゃべりが心や頭を占拠している
この忙しい自動化した私を占星術では月といい

静かな、私の無い私に根差した私を
太陽というのではないかと思う。

私のない私も
私ではない大きな流れと一つであり
何もない虚空の中で
大きな風景とともに流れていくもの

そこに大いなる意思がある。

心のおしゃべりを静めて
流れにのる勇気を。

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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の 星の動きやタロットをインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日漠然と考えたことや、なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日?或いはきままに連載したものです。 。 COCOのInstagramもよろしく! ”COCO”Instagram