2025.07.10

祝福の力 <一日一篇の言葉 vol.107>

今日の太陽は数えで蟹座19°
サビアンシンボルは
「結婚の儀式を遂行する司祭」

これから書くことは、この度数の惑星を持った友人を見て思った
このシンボルへの私の勝手なイメージです(きっとサビアンのテキストには違う事が書かれている)

その場が不穏でも、じつは問題アリでも
とにかく明るく祝福ムードで押し切ってしまう。
「最高だねぇ!」「うまいねぇ!」「完璧でしょ!」「素晴らしい!」そんな強気の言葉で圧倒する。
そんなメンタルな人がこの度数持ちのひとには多かったように思う。

そんなとき、ちょっと強引にムードを押し切る感じに
「えぇ!!」って思ったりもするんだけれど
気が付けば祝福ムードに場が飲み込まれて
にこやかさが蔓延するからすごいと思うのだ。

それを目撃して
実際のところ
どんな状況だって祝福してしまえば祝福になるんじゃなかろうか。と思ったりすることもあった。

「全ては今完璧です」という言葉がしばしばスピ系ではして耳にするけれど
実際、目の前の事がいいとか悪いとかは人間がその
時世の価値観で切り取りしているもので
時代が変われば今「ヨい事」も、後に「ワルイ事」になったりすることがあるだろう。

良いことも悪い事も人間の思うような価値判断は
神様の目線では本当は存在していなくて
目の前のすべてがなるようになっていて
祝福すべきことなのかもしれない
とも思ったりする。

とはいえ、
そうは思えず。
当てが外れればがっかりするし、
大事な人に不幸があれば嘆き悲しむ

あぁ、悪い事が起きた
あぁ、良いことがあった!
と思うのが人間だ

でも同時に
目の前で起る悲劇にすら
圧倒的パワーで祝福を送ってくる人がいたら
目の前のことを
「いいことなのかな?」と思ってしまうのが人間ではないのだろうか?

人間の思う事なんてその程度かもしれない。

だってさ、
赤紙が来て「おめでとうございます」
と言っていた時代。
お国のために死ぬのがお役目と思うことを
本気で思って
そこに生きがいを見出した人っていただろう。

それだって今は信じられないことだけど
そう思った時代があったんだろう

三島由紀夫が割腹自殺したけれど
時代の変化に簡単に乗り切らなかったのか変われなかったのかはわからないけれど
彼のような人の方が誠実なのかもしれないなと思ったりする反面。

そこには押印な強い「自我」を感じたりもするsi
神の祝福と人間の自我の対決のようにも感じる

タロットにはソード10というカードがあり
意思が肉体や自然を凌駕してしまうことを表す。
マルセイユ版ではただ10本の剣が描かれているけれど
ウエイト版では10本の剣に串刺しにされた人物が描かれた
なんとも痛々しい絵だ。

思いを貫くこと
意思を貫くことは
時に
こんなにも痛々しいものかと思う。

それでも
どうであれ、
それも含め
変わってしまった目の前の「ヨい事」「ワルイ事」も含め
全てを祝福してしまえるのが
真実なんじゃないかと思う。

ま、ちょっと気難しく考えすぎたかしら?

でも、今日は今日という日をただそのままに
祝福してすごそうと思う。

////////////////////////////////
『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の 星の動きやタロットをインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日漠然と考えたことや、なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日?或いはきままに連載したものです。 COCOのInstagramもよろしく! ”COCO”Instagram