2016.04.08

4月に思う。

4月。
新しい学期の始まり
学年が変わり
或いは学校が変わり
職場が変わった人も
沢山いるでしょう。

「4」

というと

四方を囲むイメージから

ルールや枠組み
あと
箱や
「場」を連想したり。
モノや明確な具体を象徴したりもするだろう。

そのとおり
4月になると
多くの人が
新しい「場」に入っていく

そこで
新たなルールを受け入れたり
あらたな人間関係に所属して
今までとちがう
関係性の形に馴染んでいく必要があったり

4というと

始まりというより
固定
定着
という感じがして
すがすがしさより
なんだか堅苦しい感じがする

もしかしたら
新しい始まりのワクワクでいうなら
始まる前の3月のほうが
ワクワク
気持は広がっているのかもしれない

私は

4月の4には

13(1+3=4)の「4」を思う。

13というと
タロットでいうところの死神を表す

でもこれは
4番の奇数

つまり
自分にとって未知の
新しい秩序を受け入れるという意味がある。

人間にとって
もっとも未知の秩序
所謂、誰も知らない世界と言えば
それは黄泉の国
所謂「死」なのかもしれない。

4月は

今までの世界を手放して
新しい世界へ入る月。

どきどきだね

でも

それはとても具体的で
もう夢や想像の余地はなく
とってもリアリティーにあふれ
具体的な始まりでもある。

2016.03.16

春だ!            (日々のつれづれ)

春はすこし寒々しい

寒々しいのは心のほう

でも宇宙は真空が嫌いだから

あっというまに
寒々しさも露の熱気に変わるだろう

だからこの寒々しさも

新しいうねりがやってくる前触れなのだ

そうは言っても

寒々しい

・・いや

寂しいのかな

でも春というのはそんなもの

そんな

移り変わりの儚さと
新しいものがやってくるトキメキと心細さ

そんな微妙なこころもちを

もうすぐさくらが

みんなの代わりに語ってくれる

春だー!

2016.03.11

3月に思う。

3という数字は
生産性を表し
タロットでは女帝
その
産み育てるイメージから
豊穣を連想する方も多い。

でも、
私の中の「3」は
もう
だだもれの産みっぱなし
のイメージで
場合によっては不毛な学習の無いケースを想像してしまうのだ。

忘れられない男
別れた方がいいと何度も思って別れるが
結局ズルズルと振り出しに戻ってしまう。

あれもこれも
チャレンジするが
どれも身にならないままに
また次に進んでいく

そんなイメージがする。

あと「グループ」というもの
社会というのも
3人から
というイメージ(昔、社会教育や福祉について少し勉強した時知った)

マンツーマンじゃない
3人になったら
社会になるんだね。
グループ
の始まり

多様な発展性の
始まりの数でもあり
ただただ可能性を発展させることだけに
焦点をあてた数字

でも
ただ広がっていく
増えていく
どんどん動く
あれこれ経験する
新しいものを新しいものを!

・・・・

というだけでは

人間は落ち着かない

発展すれば
固定したくなる
定着し
ルールも出来てくる
慣れも
習慣化も
そうして安定もしたい

・・・・

しかし
さすれば
刺激が欲しくなり
その定着したものを
壊したくなる?
在るいは新しい発展を?
殻をやぶる?

そんなこんなを
繰り替えるのが人なのかしらね。

そんな連鎖を思う

3月。

魚座から牡羊座へ

魚座というのはサインのラスト
牡羊座はスタート

3月は
0(ゼロ)地帯を通過する月。

私たちは死んで生まれ変わる。

慣れ親しんだ秩序を捨てて
新たな秩序を迎え入れる
未知の新しい。

生きていても
小さく死んで生まれていくんだね。

何度も・・・何度も・・・。

2016.01.31

2月に思う。

明日から2月です。

この「〇月に思う」コラム
たぶん昨年の8月か9月に始めたと思うので
今年の夏まで書いて一年通してみようと思っています。

そんなわけで2月

2月というと
「2」という数字と
「水瓶座」(魚座の初期の方ごめんなさい)
そして時間数字でいう「11」をイメージする。

2は
とても直感的で未知数
可能性はあるけれど
それが何なのかつかめない。
でも人や物事と関わる中で見えてくる
まるで少年少女のような
そんな時を連想してしまう

そうして11
11も
足すと2になるのだけれど
この11
私はタロットの「力」を連想するのである
(マルセイユ版の場合11が「力」。)

今まである流れや習慣や常識
そうしたオートマチックなものを覆す
「力」

ローカルな場である10の数字
その一つの場の中で成立するものに
とらわれず
相対化してしまうような
そんな力をもった
10の次の11の数字。

そうした「2」「11」の
二つの数字のイメージ

私の中で
そのまま
水瓶座のイメージにも重なって思えるのだ

水瓶座は
変わり者とか
エキセントリックとか言われることが多いが

この
未知数の
少年少女のような
純粋なみずみずしさと

目の前の常識に縛られない
力を

感じずにはいられない。

でも

でもね・・・。

水瓶座というのは
もしかして
誰よりも
常識的なのかもしれないと
私は思う。

そもそも
常識とは何だろう。

不倫はいけないと
言われているけれど
海外へ行けば
一夫多妻の国もある。

時間は守らなければいけないというけれど
そもそも一時間ぐらいの遅刻は当たり前という国もあるだろう

常識というものは
その国
その会社
その家族
その・・・

大きさ様々であれ
そのサークル範囲の言葉なのだ

そうした
ものに縛られず
出来るだけ
何処にでも通用するような
そんな考えやスタイル
ありようをかもすのが
水瓶座の人たちだ

だからこそ
かれらは誰よりも常識的であり(と本人は思っている?!かも)
誰よりもこの「場」で浮いているように見えるのである。

でもだからこそ
水瓶座は
色んな人色んな考えを
そのままに尊重して成りたちあえる
博愛を秘めた星でもある

・・・なんて
水瓶座の話になってしまいました。

そう

日本は
水瓶座の国ですね。

私は
この日本という国は

色んな考え
色んな人
がいるこの世界を
つなぐ
或いは
尊重して助け合う

そんな架け橋となる才能を秘めた
国だと思います。

だって水瓶座の国だもの。

そんな2月

2016.01.06

よせてはかえす        (日々のつれづれ)

行い、

「全ての行いに報いがある」・・・かぁ。

今日「加藤俊朗」さんの呼吸の本を読んでいた。
読んだ本の中でこの言葉が
目に留まる。

「全て」・・・なんだなぁ・・。

こうしてブログを書く、

このあと布団に入って寝る。

息を吸う。吐く。

…もかな?…そうなんだなぁ。

ふと
随分昔のことだけれど、中学生の時だろうか
北村想の「想稿 銀河鉄道の夜」という芝居を見て感動した事を思い出した。

そこに
理科の先生が出てくる
その理科の先生は
あとから「ジョンペレルン博士」として
尼さんみたいな恰好で

本当の幸いについて
カンパネルラと話したような・・・

その中で

「よい行い、よい行いは善い行いそのものの中に報いがあり」
「悪い行いは悪い行いそのものの中に報いがある」
「天国には安らぎが」
「地獄には冒険があります!」

というセリフがあった。

ふうん。

地獄か天国かはおいといても
全てが
息を吐いてすうように

行えば報いが返ってくる。

なんだか

それは
当然の摂理なのかもしれないけれど

今日は
それが
改めて

あぁ、

そうなんだな

「全て」

なんだな

全てが
そうしてかえってくる。

よせては返す波のように

私は
私の行いの報いを受け取りながら生きているんだ

改めて
届いてきた。