雑誌「つるとはな」で
ゲシュタルト崩壊について書かれた記事を読んだ。
それを読んで
あぁ、これはこころあたりがあると思った。
なんというか
物事の意味が崩壊する現象というか
たとえば
私なんかだと
すんごく疲れていると
たとえば
「海」という字があったとして
なんというか
海という字をみれば
海という字なわけで
その意味が
あれこれ考えなくても「うみ」として入ってくるわけで
でも
或る日
その疲れている日は
海が
なんというかただの線の形に見えるというか
図形というか
海が「うみ」という意味として認識できなくなるというか
バラバラにその形一つ一つとして届いてきて
そこに付加されていたはずの
意味というものが連動されて届いてこない。
こういう事が
私はたまに起こるわけで
そういうときは
少し怖くなります。
明日、このように、いろいろと
意味というものが分からななくなったらどうしよう・・・とね
でもこの
あるはずに意味との接続の
危うさというものが
リーディングには役立っていると思っていて
固定されてあるはずの意識や
観念を、集中していると
ぽこ!っと外してくれる瞬間をくれたりするんだと思う。
そういうときをきっかけに
オーラ―が突然みえはじめたり
思いがけないビジョンが流れてきたりして
接続の危うさというのは
怖くもあるけれど
面白くもある
思春期のある時期に
脳の左右のバランスが悪い時期があって
その時期限定で
透視能力や予知や霊能力が発達する子がいるというけれど
なんというか
それも
そういう危うさに関係するように思えなくもない。
ま、とにかく
なんというか
ものごとの「意味」というものは
そうやって
崩壊するところを漂ってみると
「意味」というものの
危うさを感じるとともに
意味に縛られてもいるということに気づかされたりもして
歳をとると忘れっぽくなるというけれど
逆に積み重なった様々な観念に縛られてもいる。
んで
老いて
脳が不安定になって
ゲシュタルト崩壊することが増えて
思い込みから自由になることも意外に悪くないなんて考えたりする。
今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。
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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。