あ、そうか
もう師走なんだと思うと
ぜんぜんそんな気がしない
私が子供の頃は
一つ一つがもっともっと
盛り上がって
感じられた気がするし
ずいぶん前からその事でワクワクしていたような気がする
そうして
なんだか今は
味気なく素っ気なく行っているように感じてしまうんだが
しかし
カレンダーを見ると
小学校の終業式は(北海道ですから)
22日
クリスマスはそのあとで
そうしてその一週間後が大晦日なのだ
あれ、
そうか
終業式からクリスマスまでは3日間しかない。
通学中にクリスマスについて考えた記憶はないので
そうか
子供の頃のあの事前のクリスマスへのワクワク
はもしかしたら
このたった3日間
イブまでなら2日間の事なのだろうか。
まぁ、
そのあたりは
なにせ
30年以上も前のことなので
思い出せないが
12月に大晦日とクリスマス
大きなイベントが二つもつまっていて
その二つのイベントのボリュームを思うと
なんだかピンとこないのだ。
たぶん
「今」の時間の流れ。
今の12月という時間の尺度と記憶にあるクリスマスと師走の分量を思うと
一か月ではこの二つのイベントを通過するには時間が足りないような気がしてしまう。
しかし
きっと
もう一か月ぐらい
クリスマス気分でいたような記憶は
もしかしたら3日間だったり一週間だったりするのかもしれない。
何がいいたいかというと
今ははざ~と通り過ぎてゆくこの時間の中に
密集するみたいに
期待したりワクワクしたり
喜んだり、がっかりしたり
興奮したり
いろんな体感が詰まっていたんだということに
驚くんだ。
じゃぁ、今だって
一瞬一瞬を大事にすれば同じように
体感できるんじゃないか?
なんてふと思ったとして
いやいや
そんなに密集して上がったり下がったり
剥き出しで感じ入っていたら疲れ切ってしまう。
少し鈍くて
もったいないけど
ぼんやりしているうちに風景が変わってしまうごらいでちょうどいい。
子供
のもっている生命力とともに
体験もやってくるんじゃないかなとふと思う。
小さいけど
莫大な生命力とそれに見合う体験の密度。
40代になって
少し残念な気もするけれど
あのころとは
体のポテンシャルは全くちがってしまって
それとともに
体験もスカスカに漠然としたものに変化する。
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今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。
でも、私は、
体力の衰えとともに
鈍くなってはいるけれど、生きやすくはなったように思う。
体が衰えることに救われることもあるんですね。
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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。