会話といっても
いろんな会話がある
近所の方との日々の挨拶的井戸端会議
友人とのカフェでの談話
恋人とのひととき
など
しかし
話しているから
分かり合っているか
相手の事がわかったりつかめるかというとそういうことでもなかったりする
日々のいろんな会話の多くが
かわす会話、その言葉そのもよりも
関わるために話していたり
繋がり続けるために話していたりする
或いは恋の話や
日々の愚痴を話して心を開いているように見えて
本当は
「私は安全ですよ」とか「私たちは味方同士ですよね」と
間接的に確かめあうためだったりする
そうして
関わるための会話をしているとき
案外本当のこと
或いは嘘ではないけど(表面は大事にみえてもね)
案外どうでもいいようなことを話していたりする。
だから
会話の内容によくよく耳を傾けてみると
まったくもってかみ合っていなくて
もしもそこにビデオカメラが回っていて
あとで再生して見直してみたら
笑うほどちぐなんだ。
分かり合っているなんて
幻想みたいに
まるで
かみ合わない会話をしている日常だけど
そもそも
そうして
会話をしよう
足を止めて話をしよう
こうして
一緒にふれあう時をもとうと
言葉が
口実になったっていいじゃないか
繋がりたい
ということは
行動で明らかなのだから
愛しているという言葉が
嘘か本当かはわからなくても
そのときあなたと一緒にいたかったということは
そこにあるのだから。
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読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。