2016.11.07

力とやらについて <一日一篇の言葉 vol.31>

愛情を力で支配する
そういう人は
漫画とか
昔話とかで
なんというか
人の原型の一つのように
登場する

愛情だけじゃない
さまざまなものを
力でもって支配したり手に入れたり
思い通りにしたい

力ってなんだろうなぁ

大金かな?
地位とか権力かな?
何かしらの成功した功績かな。
単純に暴力?

しかし
物語の中では
お決まりに
そういう人物は幸せにはなれないオチなんだけど
なんでだろうかと考えたときに

やっぱり
幸せになりたいと思うなら
「自分」が誰かと出会い関わるしかないわけで

その力とやらは
どうやら
「自分ではない」ようなんだな

だから
自分でないもので
誰かを惹きつけたり
動かしたり
繋がり合ったりしたところで

自分でないものだから
やっぱり
そこでは何も手に入らないわけで

そのあたりが
物語によくある
なんでも手に入れられるのに
不幸になるという
登場人物の構造なんだろうとおもうのだ。

誘惑にまどわされないように
という言葉も
物語に出てきそうだけど

誘惑は
力の事で、
その力とやらは自分ではないんだ
という事を
忘れてはならないという事なんだろう
とか考えてみた。

しかしまぁ
実際には
やっぱり
お金も欲しいわけで
やっぱり、人にも認められたいわけで
心の中では
時には
どゴーン!とすげぇ!とみんなを見返したいなぁなんて妄想したりするわけで

力とやらは
やっぱり気持ちよさそうなわけで

しかし、力とやらは扱いが難しい。
あまり大きな力の前では
私なら自分を見失ってしまいそうだけど
あなたはどうですかね。

今日も読んで下さってありがとうございます。
いい一日を。

という訳で、時々妄想しつつも慎ましい日々に感謝です。

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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。

2016.11.06

理由がわからず仲間が消えたとして <一日一篇の言葉 vol.30>

あいつなんだか急によそよそしくなったな
なんであの人冷たくなったのかしら

理由もわからず
友人や仲間が離れていく経験は
誰しも一度は経験があるんじゃないだろうか

どう考えても
理由がわからなくて
時々ふと
思い出してしまったり
あぁだったんじゃないか
こうだったんじゃないかと
考えてしまったり…

わからない

というのは
引っかかるもので
ポッカリ空いた穴のように
なんだか心に残ったりする。

その理由を色々
に想像できるとして
まぁ、想像したところで
相手のところは相手にしかわからないので
わからないなぁ
とおいておけるといいんですが
そう出来ない人もいるんじゃないかと
思います。

例えば
こういう考えはどうでしようかね。

一人の人間がいるとして
一人の人間はどのぐらいの数のコミュニティーを持っているでしょうか
家族というコミュニティー
趣味の仲間
仕事仲間
学生時代の友人の集まり
子供の保護者のつながり
マンションの自治活動
ボランティアの仲間

例えば
あなたはある人と
学生時代の集まりというコミュニティーでつながっていたとしましょう

とっても仲がよくて
1~2か月に一度は
仲間が経営するバーで会っていた

でも
或る日
誰かが来なくなる

なんでだろうな
ちょっとした言い合いになったから?
実は不満があったのかな?

どうでしょうかね

私は
人とかかわるというのは
大変労力のかかることだと思うんですね。
もちろん出会い、関わり
そこに喜びも世界もあることを前提としてですが

そして
私たちの時間は限られていて

人生を創り上げていくとき
その時間をいかに使うのか?
何に使うのか?
誰とともに使うのか?

というのは
どんな人生をいきるのか?
ということに等しい(といえばいいすぎかな?)

とにかく
誰かとつながっていたとしても
その人には
あなたの
知らない幾つかのコミュニティーがあり

その全体像を思い描いたときに

人生を考えたときに
或いは子供が出来たり
仕事の比重がましたり
何か勉強したくなったり
新しい別の可能性をみつけたり
或いは単純に体力が落ちてしまったり

あなたがその人とつながっている
コミュニティーを
その人が捨ててしまうこと
捨てざるえないことも

おこりえるんだと

だた、
その人にとって
そのコミュニティーの優先順位が
高くはなかったという事実はあるでしょうが

何か
あなたが悪いことをしたり
あなたがたに何かしら原因があって

まぁきっかけぐらいはあったとしても

理由がわからないものの
多くは
居なくなった誰かの

ただ
人生の道によるものだと
いうこともあるんだと思うんですね。

・・・あ
今日は少し長くなりました。

今日も読んで下さってありがとうございます。
いい一日を。

しかし、黙って居なくなられるのは悲しいものですよね。

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2016.11.05

人生は不思議で面白い <一日一篇の言葉 vol.29>

店をひらく
イベントを開催する
会社を興す

何かを思い切って始めるとき
うまくいくケースというのは

「できる気がした」
という人が多い

つまり
根拠云々というより
そういう確信が降ってくるような
大げさな言い方をするなら
啓示みたいな感覚がきて
行動を起こす。

ただ、
そうして
動きだすと
やはり
人の力というのが必要になってくる

あるいは
その予感も
行動を通じて
その予感の実現に必要な出会いがあって
あぁ、やっぱりできるな
と確信が実感になっていく
そういう出会いを通して
思いはより現実味を増し
具体的な展開へとつながっていく

まぁ、
何がいいたいかというと

降りてきたものなのか
自分の本質が呼んだものなのか

「やれる気がする」
という確信のようなもの

それが

偶然の出会いも
プロセスも
もしかしたら画策する
こちらの内部の思考も

それによる(やれる気がするの到来により)化学反応のように
やってくるものなんじゃないだろうかと思うんだ

やってきたもの
をキャッチする

それが面白いなと思うし
自然にエネルギーの波にのれる

その
現実を生み出す確信
とやらを
意識的にそういう意識を創り出す方法というのも
ある
時にそういうものが
必要な時期もある

でも今は
そういうものを
生み出そうと、心の中を忙しくしないで
静まっていると

やってくるものって
大小さまざまに
頻繁にあるんだなって

わかってくる。

やってくるものが
なんなのかは
やってくるまでは
わかんないんだけど

まぁいいやって
任せてしまって
静まっていると
やってくる

静まるとしよう。

生きることは不思議で面白い。

今日も読んで下さってありがとうございます。
いい一日を。

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2016.11.04

いい相性の定義 <一日一篇の言葉 vol.28>

双子の場合
星占いでいうと
ほとんど生まれたときの星の位置が同じですが
でも性格が全然違うんです
という話をちょくちょく聞きます。

星のエネルギーというのは
自分で使わないと他者に投影するという性質があったりするんですが
つまり
星では攻撃的な要素が強いのに
本人には全くその性質が見受けられない場合
身近に暴力的な人がいって
しょっちゅう暴力を振るわれていたりするんですね。

そんなこんなで
星のエネルギーはできるだけ自分で消化するほうが
幸せになれると私は考えていて
そういう人は
攻撃的なスポーツをするとか
キックボクシングとか
レスリングとか
女性でもそういう事をおすすめします。

でですね
双子の場合は
二人で星をわけっこするみたいに
生まれたときの星のエネルギーを分担してしまうケースが
全く性格の違う双子
という風になるんだと思うんですね。

しかし
本来は自分のもってるものを
相手が行うわけですから
その双子の片割れがいなくなると
何かしら欲求不満になったり
或いはその双子の片割れの持っていたはずの才能を
もう片方が発揮しだす
所謂、漫画の「タッチ」の上杉達也現象が生じるんですね。

相性というのがあって
一般には
拡大を現すエネルギーや
温和なエネルギーのものを
良い相性といわれているんですが
とくに
初心者向けの解釈のみが書いてある星占いなんかだと
そういうケースが多いように思うんですが

良い相性というのを

自分を生かす
自分の星のエネルギーを引き出す人

という風に定義した場合

意外に
90度の葛藤や争いを生じる人
150度のまるで性質の違う人
というのと出会うことが
自分を強化する
自分を知る
自分を磨く

いい機会になったりするんですね。

自分と似た人物だと
相手がそれを肩代わりしてしまう

あるいは
エネルギーをすんなり拡大してくれるような
同調型だと
あんまり成長しなかったり
怠惰になったりする可能性もある。

いい作物ができるのには
嵐も必要だ
水は少ない方が甘いトマトがなる

とか聞いたことがありますが
分かり合えて寛容なここちいい関係でなく

過酷な試練や
摩擦
嵐といったものを授けてくれる関係が

甘くおいしい果実には
不可欠だったりすんですね。

人間には発達傾向というものがあり
成長しようとする
本能があるらしんですがね

そうすると

あなたを
生かす人は
誰なのか

いい相性とは

運命の人とは

なかなか難しい定義です。

今日も読んで下さってありがとうございます。
いい一日を。

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2016.11.03

2017年 水瓶座 運勢

                 ⇒2017年12星座運勢
2017年 水瓶座 運勢

<総合運>
昨年に続き、自分はどういう風に生きるのか?
そのビジョンやイメージを創り上げる時期になる水瓶座
もともと
自由を愛しさばさなとした付き合い方をする人が多い
水瓶座ですが
今期は特に
自由に縛り合わない関係を好み
一個人としての自分と向き合い
生き方もそうですが
どういう風に人とつながり合うか
何か本当に必要なのかなどを考え掴んでいくでしょう。

そして
「よし、こんな風にいきていくそ」というビジョンのようなもの

はっきりするのです。
ただ、そこまで至るに
今年はさまざまな人と接し
中には旅行や旅なども増える人も
そうして
ローカルな場、国、家族或いは今の職場
の価値観をこえた
ものとも接し、広い考え視野を広げる体験をする人もいるだろうし
とにかく
考える
客観的に公平に理論的に
自分が正しいと思える答えを導きだそうと
とにかく考えることが多い
思考を使う年となるだろう。

後半、秋口からは
可能性が大きく広がります。
いや、水瓶座的にいうならば
広がるんでなしに
広い世界から、「ここ」というふうに
現場を定めることになるように感じるかもしれないな。
或いは
生き方をや自分の中の価値判断の軸となる
ある枠組みを定めることなど

自分の場を定め、或いはフィールドをさだめて
そこで
チャンスと可能性が広がるのです。

ただ、急に活動を拡大しすぎたり
いきすぎるきらいがあります。

それでも
そうして、
場を定める
ということのなかに
具体的な成果を得ますが

つまり
秋口からは
その
反面の失うことや
その恩恵にともなう矛盾などとの間で葛藤もわくでしょう。

たとえば
自立し、自由にしばられたくないと思いながらも
会社や団体などからの恩恵で繁栄している

普遍的でどこでも通用する考えやスタイルでいたいと思いながら
ひとつの考えに縛られることへの抵抗など

ただ、自由に動き回る鳥にも
帰る巣は必要だったりして

この矛盾には
こうした答えが隠れている可能性ありです。

<仕事運>
出張が増えるかもしれません。遠出をするかたちで動き回る可能性が多い時期ですが
運気は上々でとくにその客観性や公平さ、柔軟な判断力などが頼りにされるでしょう。
また、とても肩の力が抜けているというか
自然体で物事をこなせるため、周囲にも安心感を与え、評判は上々です。
大きな現場、大きな仕事にかかわりやすいときかも。

<恋愛運>
恋愛というより、友情モードという感じです。友情をとても神聖化しがちで
恋愛より、友情の方に思い入れと美学を持つ人もいるかも。恋愛は、あまり個人的、いわゆる恋愛恋愛した感じはこのまず、友人にセックスがついてしまった。というようなライトな感じのつながりあいをいわゆる恋人よりも大事なものにかんじてしまうというパラドックスが生じます。
ただ、秋ごろになると、人によってはそうした友情のような恋愛に一つの形(結婚や同棲)という場をもつケースもあります。その場合、葛藤も生じますが、帰る場所。ここに帰れば(友人?)がいるということが、一つの支えに変化する可能性も。