「11」
改革、いままでのオートマチックにしみついた
習慣癖、因習を覆し新しい流れが生まれるところ。
この11という数字。
私には
人と人が向き合う姿に見えるのである。
1という数字が2つ。
その唯一無二のかけがえのない独り一人が
しっかりと立ち、
そうして向き合う上での
1+1=2なのであるように。
ただの一の位の「2」だった場合は
まだ、
自分があやふやで
関わりながら
無意識に反応しながら
そうして反応として出てきた自分に
出会って自分を自覚していくような
2
それは
まだ
未知数のいくらでも関わる相手によって揺れ動く
独りの人間として確立する以前の
やわらかい黄身のようなじょうたい。
しかし、この11のところでいう2という数字は
しっかりと立つ私と私との出会いのように見えるのだ。
かけがえのない
しっかりと立ち
むき出しに向き合いあった人間どうしが出会うとき
そこに
「変容」が生じると私は思う。
それはもう
トランスフォーメーションとでもいおうか
新しい自分へのバージョンUPが起こるように思うのだ。
そうした事を感じる
私の11という数字。
さぁ。
ところで11月のコラム
「11月」に思う。というより
「11」に思う。というコラムになってしまった感じがするけれど
まぁ、いいか。