2017.03.01

男と女の断崖絶壁を超えて

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

男と女を
本当にほとほと違うものだなぁと
感じるんだけれども

その違いが
時にびっくりするほどで
愕然としたりする

あの人は
私を愛しているのかいないのか?
という問いが

同じ尺度をもっていれば
測れる問いだったとして

その尺度が
まるで通じないぐらい

生態系が違うということを
どうやって受け入れればいいんだろうね

もしも
その違いを認めてしまうなら

なんだか
男と女の間にある
様々な夢や期待やロマンスといったものが
ガタガタと足元から崩れていくようで

失望と幻滅に苛まれそうだ

ときにそれは
好きであったあの人やこの人への幻滅であるかもしれないが

そもそも
男性と女性という生き物の間に立ちはだかる
断崖絶壁だったりする

いや、
まて

そもそも人は
だれしも

どうしたって違うのだ

愛するという言葉を
実践するならば

その断崖を認めることが
第一歩かもしれず

人によっても

そんなことなら一人でいたほうがましだと思うかもしれない

愛するということを
なんと味気なく寂しく孤独な行為に思えてしまうかもしれない

それでもね

それでも

その多くの期待が砕け散った果てに
それでも
愛してみたらね

その事で
温まるこの感じに

絶望が
世界の祝福へと反転する

そんな感慨が
体験できることもある。

でもね
愛そう愛そうなんて思って受け入れられたり
愛せたりするようなもんでもなかったりして

そもそも
それでも愛せる誰かがいることに

それでも
大事に思える出会いがあることに

ただただ
そのことに
感謝できる時もあったりする。

そんなときは
やっぱり
見えない何かに

もしかしたら神様に感謝するしかなかったりするんだ。

——————

読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

2017.02.19

結婚という季節

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

結婚というのはタイミングだ
という言葉を昔から
何度か耳にしたことがある

タイミングが合わないと結婚できないという意味なのか
愛情云々ではなく
タイミングが合うか合わないかで結婚したかしないかの
分かれ目となるという意味なのか

かくいう私も

結婚はタイミングだと思うのだ

既に結婚した今になって
過去を振り返れば
どうしてあの人とは
結婚しなかったのだろう?

と不思議に思う出会いがあったりする

しかし
そのときは
どう考えても
結婚は考えられず
できなかったのである

きっと
人生には様々な季節ある

人により
その彩の中身は様々だけれど

猛烈に仕事に熱中して
どうしても生活については二の次になる季節があったり

誰かに依存して
甘えまくってダメダメになる季節があったり

活発に交流を繰り広げる季節や

引きこもって
自分の世界を充実させたい季節があったりする

それぞれ

様々な季節があるけれど

結婚という季節がくる
時期というのも
あるのでろうと思うのだ

「どうしてあのとき、あの人は私とは結婚しなかったのだろう」
「どうして私はあのとき、あの人ではダメだったのだろう」

私がダメだとか
相手がダメだとか違ったのだとか
色々に思うこともあるけれど

その人の
パーソナルな事とは
関係なしに

まったくダメなところはなかったのに
どちらかというと
振り返れば一番いい女だったり男だったりしたかもしれなくても

どうしても
結婚できないの時はできないのであろうと

そういうことも
あるんだよね。

——————

読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

2017.02.15

かけがえのなさ

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

相手がどう思っているとか
相手にとってどうなのかということは
わからないけれど

自分にとって大事な人やものは
けっこういっぱいある

かけがえがないか?
と言われると
よくわからない

なくなったらなくなったで
やっぱり次の日も日常があるだろうし
なくなれば
その空白に
あらたな出会いや
あらたなモノや行為がやってくる

或いは空白のままで

それはそれで生きて行けたりするんだろう

だからこそ

ここにあるものに
明日はどうなるかわからない今に

そのかけがえのない瞬間に

感謝せずにはいられないんだ。

大好きで大事な
暖かい
誰かや
何かや
行為に触れたなら

ありがとうと思わずにはいられない。

——-

読んでいただいてありがとうございます。
いい一日を。

2017.02.13

なんの証明もない漠然とした自分への愛

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

「自分の変わりはいくらでもいる」という言葉を
時々耳にする

確かに
そりゃそうだろう
と思う。

私が一人いなくなったって
世界はまわるのであるから

私じゃないとできないもの
私以外にいないものといえば

思いつくのは

誰かの娘であること
或いは誰かの親であること

それは
わたしじゃないとダメなものと
言えるのかもしれない

でも
世の中には
親が既にいない人もいるし
子供がいない人もいる

私が
私だけが
私じゃないとダメだということを

恋人に求めたとして

やっぱり
私が死んだら
この人は別の誰かと
また改めて恋愛をして
いくのかもしれないなんて思ったりして

どこにも
私じゃないと
ダメな
誰かやその役割は見つかりそうにない

そう

そもそも

外に
自分であることの証明を求めても
私である必要は
見つかりそうにない

ならば

外に向けたベクトルを内側に向け返してみよう

今までが
たとえ善意だったとして
誰かのために
善良に生きてきたとして

それはとっても素晴らしいことだけれど

ホントは
疲れてしまった自分がいたなら

私が
私に必要な道を選んでもいいのだ。

どんなに頑張って
誰かが
あなたの必要性を証明はしてくれないけれど

私は
私にとってこの道がいい
と今思える道

それが永続的なものであるかは
考えても今はわからないけれど

とにかく
今私は
これがしたいんだ

とにかく
私には今これが必要だ

そんな風に自分で自分の道を証明できればいいのかもしれない。

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しかしね、
意外に
外に自分の価値を求めてやまない人は
自分が何を求めているのか
何を必要としているのか
自分に必要不可欠なものはわからなかったり
どうしてもこれでないと・・・と思えるものはなかったりする。

そもそも
なーんにもなくても

基本的には私は私でいいんだと
あなたはあなたでいいんだと

なんの根拠も証明もないけれど
その漠然とした自分への愛が見つかればいいんだと思うのだ。
必要なのはそういうものだったりする。

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今週も読んで頂いてありがとうございます。
いい一週間を。

2017.02.07

凶の出来事も幸せのジャンプ前のしゃがみこみ・・・かも

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

幸せになりたくて
右往左往奮闘しているのに
どうしても
うまくいかないならば

あの幸せに手を伸ばしたいと
喉から手が出るほど願いつつも

心の奥で
あの幸せを手に入れたら
今ここにある
幸せを壊してしまうと
迷っていたりしたりする事がある

いや
そんな風には思っていると
自分でも思っていなくて
今ここにあるものを
幸せだなんて思えなくて

それでも
慣れ親しんだ今の生活を変えてしまうということは
どうなるかわからないという
怖さが付きまとう

わからないという怖さに飛び込むぐらいなら
このままでいる方がいいかもしれないのだ

だから
もうとことん
ここにいるのはうんざりなのだ!!と思いきれるほどの
悲劇が不運に見舞われたとして
それは最悪の出来事ではあるのだけれど

そうでもしないと
飛び立てないということは
おおいにあるわけで

不幸だけど
我慢できないほどではないという
曖昧な状況が
いちばん不幸なのではないだろうかとふと考えたりもするのです。

神社に行けばおみくじがあって
凶だったり吉だったり大吉だったりするけれど
凶というのは
飛び立つ前のしゃがんでいる動作の前触れみたいなものだったりするケースもあるんだろうと

ふと思った。

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今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一週間を。