明日から2月です。
この「〇月に思う」コラム
たぶん昨年の8月か9月に始めたと思うので
今年の夏まで書いて一年通してみようと思っています。
そんなわけで2月
2月というと
「2」という数字と
「水瓶座」(魚座の初期の方ごめんなさい)
そして時間数字でいう「11」をイメージする。
2は
とても直感的で未知数
可能性はあるけれど
それが何なのかつかめない。
でも人や物事と関わる中で見えてくる
まるで少年少女のような
そんな時を連想してしまう
そうして11
11も
足すと2になるのだけれど
この11
私はタロットの「力」を連想するのである
(マルセイユ版の場合11が「力」。)
今まである流れや習慣や常識
そうしたオートマチックなものを覆す
「力」
ローカルな場である10の数字
その一つの場の中で成立するものに
とらわれず
相対化してしまうような
そんな力をもった
10の次の11の数字。
そうした「2」「11」の
二つの数字のイメージ
は
私の中で
そのまま
水瓶座のイメージにも重なって思えるのだ
水瓶座は
変わり者とか
エキセントリックとか言われることが多いが
この
未知数の
少年少女のような
純粋なみずみずしさと
目の前の常識に縛られない
力を
感じずにはいられない。
でも
でもね・・・。
水瓶座というのは
もしかして
誰よりも
常識的なのかもしれないと
私は思う。
そもそも
常識とは何だろう。
不倫はいけないと
言われているけれど
海外へ行けば
一夫多妻の国もある。
時間は守らなければいけないというけれど
そもそも一時間ぐらいの遅刻は当たり前という国もあるだろう
常識というものは
その国
その会社
その家族
その・・・
大きさ様々であれ
そのサークル範囲の言葉なのだ
そうした
ものに縛られず
出来るだけ
何処にでも通用するような
そんな考えやスタイル
ありようをかもすのが
水瓶座の人たちだ
だからこそ
かれらは誰よりも常識的であり(と本人は思っている?!かも)
誰よりもこの「場」で浮いているように見えるのである。
でもだからこそ
水瓶座は
色んな人色んな考えを
そのままに尊重して成りたちあえる
博愛を秘めた星でもある
・・・なんて
水瓶座の話になってしまいました。
そう
日本は
水瓶座の国ですね。
私は
この日本という国は
色んな考え
色んな人
がいるこの世界を
つなぐ
或いは
尊重して助け合う
そんな架け橋となる才能を秘めた
国だと思います。
だって水瓶座の国だもの。
そんな2月