2017.01.09

喉風邪とチャクラと体の声と <一日一篇言葉 vol.88>

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

昨年末に喉の風邪をひいて
年末は声がオネェみたいな声になって
最後は出なくなっていた

病院でトローチをもらってなめながら
青系のストーンのペンダントを
意識的につけるようにして
喉のチャクラを癒そうともしている

やっと治ったかなぁと思ったら
昨日からまた少しぶり返している

そもそも
私はこの喉のチャクラ
第五チャクラが弱い方だ

バランスを崩すと
まず
すぐ喉がキュっと詰まる感じがするのですぐわかるのだ
もうすぐ限界だよ
というサイン

自分と相手との間の境界線幕のようなものが
薄く
微妙に
その境界線を越えてエネルギーを出し過ぎたり
受け取りすぎたり
そうしたやりとりが最初に喉にくる。

でもおそらく
その境界幕の薄さが
この仕事でお客さんの悩みを
感じ、リーディングするのには役立っているから
強味であり
弱みでもある

すぐ喉に来るのは困りものだが
自分を中心に保つバロメーターでもあるのだ
喉のチャクラが開く状態を保てるように
意識して
休んだり
進んだり

(そもそも喉のチャクラが閉じてしまうと言葉が出てこなくなるのだ、
 リーディングで感じたことも、声に発するところまでこなくなる。そうなると仕事にならなくなる)

知人の舞台のPA(音響)さんは
音を聞く仕事だけれど
耳が弱いという

でも不思議とPAさんに
耳が悪い人が多いと聞いた事がある。

強味と弱みが
いっしょくた

私は子供の時は
体が弱くて
しょっちゅう呼吸困難で夜間急病センターにいくような子供だった
おそらく敏感体質なのに
常に沢山の人が自宅に行きかう環境
(家の稼業の都合により)
が面白かったが
反面ストレスだったのだろうと思う

人がワイワイきて
刺激的で
面白くて盛り上がって興奮したりした日の夜は
たいてい救急病院へいくはめになったりした。

しかし
この敏感さが仕事になる日がくるとは思わなかった。

体の声というのは
あんまり無視しすると
悲鳴のようにうるさくなって
足止めをしてきて
こまりものだけれど

耳を傾けて
その声を尊重して歩んでみると
思いがけない才能にであったり
想像もしてなかった
平和な人生へ導いてくれることもある。


今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。

2017.01.08

人生が色あせたなら <一日一篇の言葉 vol.87>

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

未来が明るいだろうと希望に燃えて
勇気を出すというのは
意外とやりやすいことなんだろうと思うのだ
ワクワクと
そのスリルと
前進する勇気とエネルギーに
生きるエネジーを感じる
すばらしい体験と感じるかもしれない

しかし
そうした
勇気も
全てが上手くいくわけではない。
全てが上手くいくわけではない
ということは
たんなる事実であって
しょうがないんだけれど

だから
失敗すれば
或いは
思い通りの結果が得られなかったとしても
また
何かしら
同じように
チャレンジするしかなかったりする

はじめての挑戦と
失敗を経験したあとの挑戦とは
まるで世界が違うだろう

大人とか
子供とか

そういう
人間の成長具合の定義をさす
言葉があるとして

魂の大人
というと

失敗する可能性を知ってしまってなお
それでも
また挑戦することのできる姿なんじゃないだろうか

なんどでも
はじめてのように
軽やかに
やってみたい新しい可能性に踏み出せる

愚かさ

一見
子供じみて見える
その行為ができるようになる
こと
或いは
そこに
繰り返し
踏み出してみることが

幾つかある
本当の
魂の研鑽の道のうちの一つだったりするんじゃないかなとか思ったりする

失敗を経験すると
二度と失敗するもんかと
考え深くなり
心も失敗に備えて硬くなり
或いはもう二度と失敗しないために
チャレンジそのものをやめてしまう事もある

そうして
失敗の失望を味わうことのない人生というものが
手に入り
安全で安心で
そうした歩みをできるようになる自分を
自分も周囲も
大人になったねと
賞賛するのが
世の中かもしれない

それでも
心は知っている
自分がまだ小さな少女のままであることを

閉じたままでは
安全だけれど
実は内心では何も進まないということを

恐怖というのは
セクシャルなエネルギーを隠すための反応であると
言った人がいた(誰だっけな)

恐怖に飛び込むと
エクスタシーがある。

だから
ジェットコースターみたいな
安全だけれど怖い遊びが遊園地の花形なのだ

人生を
鮮やかに蘇らせる道は
不確かであること

人生が色あせたなら
少し
愚かになってみようか

危険を承知でもう一度開いてごらん


今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。

2017.01.07

闇を照らす道しるべ <一日一篇の言葉 vol.86>

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

外がどうなってるか
他人がどうだとか
知らなければ幸せだったのに
知ってしまったことで
なんだか急に自分が惨めに思えてくる
ということがあったりする

しかし
外に目を向けてしまえば
際限なく
自分より豊な人はいるわけで
どこまでもどこまでも終わらない
貪欲の渦にはまってしまうのではないか

じゃぁどうしたらいいのかなぁ。

羨ましいと思うのが人間で
恥じたりもするのが人間だ

どうしたって
人は人に出会うし

人は誰かとかかわらずには生きていけないのだから

だけれど
やっぱり
自分にとって一番信頼できる価値というものは
自分の中からしかやってこない

一番好きな事
はなに?

好きな事がわからない人は

どっぷり疲れて
なんにもしたくないようなときに手にするものは何?
漫画?占い本?
ゲーム

そういう何気ないところでもいい

・一番ここちいいものはなに?
・一番自然にしていることは?

特別でない
なんてことのないものでいいんだ。

自分が好きならば。

そういえば最近私は
こういうようなことばかり書いているなぁ

たぶん
世の中は今
ものすごく
変化している
ものすごいスピードで
当たり前の価値観みたいなものが変容してたり
今までは見えてこなかった
まるで違う観念のグループが
あちらこちらと
ドーンとあり
様々な角度からの観念が飛び交っている

頼るべき概念
こういきれば
これを信じればOKというものは
自分の外にはないだろう時代。

ものすごいスピードで変化し多様な時代なのだ

だからこそ
今は
「私」を明らかにしていくことが
闇を照らす道しるべとなる。


今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

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『<一日一篇の言葉>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘をインスピレーションにして、COCOに届いた詩やエッセイ、あるいはその日なんとなしに降りてきた言葉を、だいたい毎日朝6:00に更新、連載するものです。

2017.01.06

自分を許して <一日一篇の言葉 vol.85>

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

自分の苦しみを
「たいしたことないんでしょうけれど」
と、自分でいう方は結構いて
きっと
たいした苦しみだから
こうして相談にいらっしゃるのだけれど
世間とか客観的な何かを意識して
「たいしたことない」といい
たいしたことないことに
たいした気持ちを感じながら
そのことを恥じつつ
相談に来る人は意外に多い。

以前
幼馴染が男の子を出産して
その男の子のやんちゃざかりに「〇〇ちゃんは大変だねぇ(〇〇=幼馴染)」と
その幼馴染のお母さんに話したら
「たいしたことじゃないよ。COCOちゃんだって大変だったでしょ。(本当はCOCOでなく本名で呼ばれたのだが)」
と、既に子供のいる私に言っていた事があった。

そういう
やりとりは
世の中に当たり前にある
なんてことのない
よくある会話なんだけれど

ふと思った。

自分の外側に基準を置いたなら
きっと誰しも
「たいへんだ」なんて言えなくなるのだろうなぁ。って

世の中には常に自分より大変な人は沢山いるし
自分より楽な人も沢山いるのだ

どんなにどんなに辛かろうが
それでも
やっぱり
自分より辛い人はどこかにいるのである。

「私は辛い」

それでいいのである。

するときっと
もしかして

このぐらいでつらいなんて言って…と
心の中で或いは声に出して批判するひとも
いるかもしれない

それでも

「私は辛い」

それでいいのである。

私は
であって
誰かは
でも
世間でも
なんでもない

私のところがそう感じるんだからいいのである。

・・・と
自分にだけは

誰かが分かってくれなくても
せめて自分ぐらいは
自分の辛さを
認めてあげてもいいだろうと
私は思うのですよ。

自分を許してあげよう・・・。


今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

しかし
「COCOちゃんだって大変だったでしょ」という言葉には、それを言った幼馴染のお母さんの
私への思いやりとおもんぱかりがあって、私が書いた許し云々とは関係なく、ただ、ただ
わたしへの優しさと気遣いを感じたりもするんです。ありがとう。

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2017.01.05

幸せの土台 <一日一篇の言葉 vol.84>

                               ⇒2017年12星座運勢はこちら

問題を解決しようとするときに
表面的なことを
いくらやったところで
どうにもならない時というのがあって

もっともっと根本から
変えていくしかないという事は多い

土台が弱いと
丈夫な家は立たないだろうけれど
それと同じようなもので

枝葉を広げて発展した物事が
ある程度までいったところで
その土台の状態の良し悪しで
行き詰ったり
することにもなるのだろうと思う。

じゃぁ
人の人生にとっての
土台ってなんだといえば

それは
「自分」なんだろうと思うんだ。

他人や世間体の評価や評判ももちろんある程度は大事だけれど

自分が
ここちいいこと
自分が喜ぶこと
自分の生理にあっていること

幸せのイメージは巷にあふれているけれど
そうした世間の差し出す幸せのイメージ
に少し目をつむって

自分の心とか感じるところに聞いてみるといいかもしれない

理屈や考え
は少し忘れて

どう感じる?

幸せというものは
とても感覚的で
個人的なもの

世間や周囲が幸せだと認めてくれることと
自分が幸せを感じるか?
ということにはギャップがあることがある

瞬間的な幸せでなく
もし
到達点的な幸せというものがあるとするならば

幸せというものは

心地いいものを
一つ一つ増やしていく
そうした積み重ねで
自分のまわりにここちいいものが増えていう
そうして
手に入る環境のことを
幸せと
いうんじゃないだろうかとか思ったりする。

そうして
それは
「自分を幸せにする」ぞ!
と自分で決意しないことには始まらず

そうして

それをもとにして
自分が幸せだという感じるものを
一つ一つ
丁寧に「自分で自分に」聞きながら
時間をかけて
つくっていくようなそんなものなんじゃないかな

そうして
自分を土台にして
自分と出会うかのごとくにして
「しあわせーだー!」というものが手に入る

王子様がやってきて
ある日を境に幸せになる
というのは夢物語で

いや、
夢物語ではなく
王子はやってくるのかもしれないけれど
やってきた王子に
私はおしゃれなカフェよりが焼き鳥がすきなんだ!
とは言えないといけないと思うのだ。
或いはそういう自分を知っていないとね

夜景に連れて行ってくれるよりも
本当は家で一緒にアニメに一緒に興じてくれるほうがいいとかも

例えば
サビアン占星術には
360度すべてに意味が異なり
それを
喜びや楽しみを現す金星に当てはめたとして
人それぞれ
360度位置が違う

それだけ
喜びの色も違うのだ

私を幸せにする
家の土台をつくれるのは私だけ
私の感じる声を聴きとれるのは私だけ

あなたの感じる声もあなたしか聞こえない。


今日も読んで頂いてありがとうございます。
いい一日を。

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